医局の思い出

2019年1月8日

まだ大学医局に入ったばかりの頃、教授のべシュライバー(外来書記)という業務が与えられた。
べシュライバーは外来を行う教授などの上級医を補佐し、外来カルテ記載やその他の診察補助などを行うことが任務だ。

僕が担当することになった教授は科内の膠原病グループの教授だった。
教授は小柄で寝癖のついたままの白髪、小声でボソボソ喋り、教授回診ではこちらの想定していない質問を飛ばしてきては、答えられない僕らを見て、怒るどころかニヤニヤしている。いわゆる変わった先生だった。
マッドなサイエンティストか交響楽団の指揮者にしか見えなかった。

その教授のべシュライバー。
初日ははじめてのことでもあるし、失礼のないように早めに行こうと決めた。
朝の病棟の仕事を早朝出勤でやっつけて、始業の30分前の8時に診察ブースに行った。教授が来るまでは外来カルテをみて予習をしようと思っていたら、既に教授は来ていて「遅いぞ」とニヤニヤされた。

僕は愕然とした。教授というのは大抵始業時間キッカリにおもむろにやってくるものではないのか。そう思っていたし、実際殆どの教授がそうなのだが、どうやらこの教授は違うらしい。8時では遅いとニヤニヤされてしまう。

そこで翌週は全ての仕事を今度はさらに30分前倒しして外来ブースに7時半に行ったら、今度は教授はまだ来ていなかった。
外来カルテを見て予習をしていたら教授は7時50分頃にやってきて、僕がいるのを見てビックリしていた。

なるほどこのくらいに来ればいいのか。
そう思った僕は翌週も前と同様7時半に行った。
そうしたらなんと今度はすでに教授が来ていて、「遅いじゃないか」とニヤニヤ笑った。

どうしよう。
僕は悩んだ。
教授よりも遅く外来に行くのは気がひける。だが、朝の業務をこれ以上早くにしてしまうと入院患者さんに迷惑がかかる。
それでも次の週はなんとか切り詰めて7時25分に行った。
教授はまだ来ておらず、その日は40分頃に来て、「今日は負けた」とやはりニヤニヤして言った。

その後もこの教授との朝の出勤レースは続いた。
教授は同じ時間に医局には来ているのに、外来に来る時間はなぜか7時から8時ごろまでの間でマチマチで、どちらが先に到着してもいつもニヤニヤしていた。
そして勝敗は五分五分だった

早朝に二人揃ってもそんな時間に患者さんは来ないので、患者さんが来るまでその日の外来カルテを使って予習がてらマンツーマンの指導を受けた。

そんな日々が半年ほど続き、次の業務の変更でその教授のべシュライバーは変更になった。

その後、その教授とは直接話をする機会などはないまま数年が経過した。
定年で教授退官の年、教授退官のパーティで、お世話になりましたとご挨拶に行ったら「朝の出勤をあそこまで張り合われたことは無かった。最近の新人は淡白だからね。君との競争は面白かった。あの日々はいい思い出だ」とやはりニヤニヤして言ってくれた。

あの半年の朝の講義で僕は教授から色々なことを学んだ。
病気の知識はもちろん、外来患者さんへの向き合い方、カルテの書き方、そして飽くなき好奇心といたずら心。
そういうものを内包し、僕と朝の出勤レースを演じてくれた教授には今でも恩義を感じている。
あのような熱量を持って年を取りたいなと思う。
僕の若かりし頃、医局の懐かしい思い出。