アルコール依存症の患者さん物語

2019年1月8日

3年程前、ある患者さんの奥さんが外来に来た。
夫がアルコール依存症で困っているから助けてほしいという。
夫も当院にかかっている患者さんだったが、短気で気性が荒く、少し待たせると怒って薬も持たずに帰ってしまう感じの人だった。酒臭いまま来院した事も何度もあった。
だから、彼がアルコール依存症だと言われてすごく腑に落ちたし、これはなかなか大変なお願いをされたと感じた。

アルコール依存症からの回復はすごく大変だ。アルコールを完全に断ち切り、何ヶ月、何年も、基本的には一生飲まないで生活しなければならない。
でも世間には魅力的なお酒が至る所に陳列されていて、テレビでも盛んにCMが流れている。
酒を忘れて生活するのは現代日本では難しい。
こんな自分は嫌だ、酒から足を洗いたいと思っても、酒は様々な形でその人を誘惑し、一杯くらいならと思わせる。
一杯飲んだら一からやり直しだ。

だからアルコール依存症からの回復は自宅で一人で行うのはなかなか難しく、断酒専門の閉鎖病棟などがあったり、断酒会というお互いの経験を共有しあう患者会があったりする。
そのようなプログラムを利用してもアルコールを再飲酒してしまう率は3ヶ月で50%、6ヶ月で70%、2年で80%とかなり高い。 

奥さんからお願いされ、まずどうしようか考えた。
本人に酒をやめたいという強い気持ちがあれば閉鎖病棟への入院、断酒会に参加という道があるが、本人にやめる意思はないという。
そうだとするとそこへの入院は難しい。
そういう施設への入院は本人の断酒への強い希望が必須だからだ。

他の手を考える。
暴れたり、大声をだして威嚇したりするらしいから、断酒の病棟は無理だとしても「自傷他害の恐れあり」ということで精神病院の閉鎖病棟はどうだろうか。当院の近隣に閉鎖病棟を持った大きな精神病院があったので、そこの院長にとりあえず電話で聞いてみた。
すると院長はアルコール依存症は専門外だが連れてきてくれれば何とかすると言ってくれた。
閉鎖病棟に入院すればとりあえずの断酒はできる。
次のプロセスは退院してから考えれば良い。
我ながら良い提案だと思い、精神病院の院長に感謝しつつ、奥さんにその旨伝え紹介状をしたためた。

だが、翌週、奥さんが暗い顔で当院にやってきた。
精神病院には行ってくれないらしい。
機嫌が良い時には「行く」と言うのだが、いざ行くとなると「そんな約束はしていない」となるらしい。

ここに来て、いよいよ本人と会わなければと思った。
往診の約束を取り付け、すぐにご自宅に往診を行った。
自宅を訪れると、玄関から酒の臭いがする。玄関にはビッグサイズの焼酎ボトルが空になって転がり、リビングでは酔っ払っているのか、夫が顔を赤らめてご機嫌で僕を迎えてくれた。

僕は夫本人にあなたはアルコール依存症だと伝え、現状とか将来とかを織り交ぜながら酒の怖さを説明し、自分のため家族のために断酒すべきだと話した。
夫はニコニコしながら「わかった、先生がそう言うなら入院する」と言ってくれた。

今度こそ解決の糸口が見えた。
そう思った。

でも現実は僕が思う以上に厳しかった。
さらに数日後、奥さんがまた来て言った。
「やはり病院には行ってくれません。先生が来たことも覚えてないですよ」

いよいよ困った。
あとは僕が直接本人を病院に連れて行くしかないかと考えていると、奥さんは「そんな迷惑はかけられません。外には出ないし他人には迷惑をかけていないから、少し様子を見ようと思います」
と言って帰っていってしまった。
僕には解決できなかったモヤモヤと奥さんへの申し訳なさが残ったが、様子を見るという奥さんを押しのけてまで入院にこだわることが出来ず、帰る奥さんを止めることはできなかった。

それから数ヶ月が経ったある日、その奥さんがまたやってきた。
奥さんが言うには、酒浸りの毎日をその後も続けた結果いよいよ身動きも取れなくなった、という。
「そのまま死んでしまっても良いかとも思ったが、やはり知らんぷりは出来ないので相談にきた。寝たきりでこのまま衰弱するかもしれないけれど、せめて苦しくないようにしてあげてほしい」と奥さんは言った。

そこで再度往診した。
僕は悲観的だった。
あの時の攻めない選択が患者さんを悪い方向に向かわせたもしれない。
後悔の念が浮かんだ。

夫はリビングに設置された介護ベッドに横になっていた。
体は前回会った時より驚くほど痩せていて骨と皮だけになっていた。
酒は飲むけど殆ど何も食べていなかったらしい。
でもその日、驚くことに家には酒がなかった。
酒の臭いもしなかった。
夫は弱ってはいたが酔ってはいなくて、まともに会話が出来る状態だった。
奥さんに聞くと、数日前からいよいよ歩けなくなり、酒を買いに行くこともできなくなったらしい。だからここ数日は酒を飲んでいないのだという。

これはチャンスだ、と思った。
奇しくも家にいながら酒を抜くチャンスに恵まれた。
この夫をアルコール依存症から回復させる最後のチャンスを与えられた、失敗は許されない。失敗した時は、この夫の命が危ない。

シラフになった夫に話をすると酒をやめたい、元の自分に戻りたいという前向きな言葉も聞けた。
僕は奥さんにこのまま看取るのではなく、頑張って回復させましょうと提案した。 
だけどこの生活自立度では断酒の病棟には入院できない。
家でやるしかない。
僕はすぐに信頼できるケアマネジャーと訪問看護ステーションに連絡して事の顛末を説明した。

・アルコール依存症の患者。
・アルコールの飲み過ぎでほぼ寝たきり。
・でも今酒が抜けている。
このまま酒を抜いた状態を維持するためにプランを考えましょう、と。

するとケアマネジャーがすぐにケアプランを立ててくれて、毎日医者か看護師か介護士の誰かが訪問する環境を整えてくれた。

目標は酒を飲ませないこと。
そのためには酒を買わせないこと。
僕たちはまず訪問するたびに飲んでいないのは知った上で毎回飲酒していないかの確認をするようにした。
してないのを確認しつつ、これからもしないでねと念を押した。
本人はその都度もう飲まないと約束してくれた。

僕は訪問の度に夫の過去の姿をお話しした。外来で酒臭かったこととか、怒って帰ってしまったこととか、本人は覚えていなかったが、申し訳ないと苦笑いしていた。 

シラフに戻った夫はすぐに食欲が戻り、普通に食事ができるようになった。
そうするとあっという間に体力が回復し、1ヶ月ほどですぐに歩けるようになった。
歩けるようになっても、夫は酒を買いには行かなかった。
当然家族には本人にお金を渡さない、買い物は一人で行かさないように伝えていたが、そんな素振りも見せないようだった。

そんな状態が2ヶ月、3ヶ月と続き、体力の回復とともに、厳重な在宅での介入が必要なくなり、訪問介護も看護も回数が減っていった。
訪問診療も月2回から1回に減り、それでも夫は飲酒をしなかった。

そして現在、8割の人が再飲酒してしまうとされる2年の壁を突破して、未だ飲酒しないまま過ごしている。

正月もお祭りの時も、勧められても酒は一滴も飲まないでいるらしい。

今日奥さんが自分の診察にやってきた。
この2年間で夫がすごくにこやかで穏やかになったねと奥さんに話したら、「もともとはそういう人だったんです」と言った。
僕の知っている夫はすでに酒に毒された後の彼だったらしい。

「あの時先生に相談するか悩んだんです」と奥さんは言った。
本当は親族にも、もう見捨ててしまえと言われていたらしい。
夫が身動きが取れなくなったあと、僕を呼んだ奥さんに「なんで呼んだんだ、そのまま見捨てれば早いのに」と言った人もいたらしい。
「でも娘だけは私の判断が正しいと言ってくれたんです。そこで見捨てるのは人間じゃないって」と奥さんは笑った。
「まさかこんな穏やかな生活が取り戻せるとは思っていませんでした。諦めずに先生に相談して良かった」

今後夫が再飲酒しない保証は全くないが、今日の奥さんの笑顔のためにこの2年間があったのだと感じた。
そして、願わくば、この幸せが二人の今生の別れの日まで続きますように。

長文失礼しました。