看取りに際しての点滴の是非について

2019年1月8日

11月21日のブログにあわせ、Twitterにこんなツイートのやりとりをしました。

ご意見すごくありがたいです。

このようなご意見により、自分が抽象的に捉えている考え方をより具体化することができるからです。

今回のご意見に関してもやはり難しい問題でしたので、自分の判断が正しいのか、よく考えてみました。

それにより出した答えがこのようなものでした。

こう答えてはみたものの自分自身消化不良気味でした。もう少ししっかり書きたいのですがTwitterの文字数では考えを伝えきれないため、ブログにしてみました。

今回の問題点は患者さんが老衰で食事が摂れなくなった状況下において、いずれ亡くなるとわかっているその患者さんに少量の点滴を行って若干の延命を図るのか、それとも何もせず臨終を待つのか、です。

上述の通り明確なエビデンス(根拠)はありません。

どうしたら良いのかというガイドラインもないのです。

ですから正解はありません。

私自身は以前のブログでも紹介させていただきましたが、少量の点滴を行う方が多いです。

http://nagashimablog.h-nagashima-cl.com/?day=20181121

ただし、何が何でも必ず少量の点滴を行うというつもりではいません。

点滴を行わないことも念頭に置いていますが、あまりそうならないことが多いのです。

それは点滴を行わないで経過を見守る患者さんは次の3つのパターンに当てはまった場合だけだからです。

本人が意思表示できて、なおかつ本人が自主的に点滴を拒否した場合

本人は意思表示できないが、家族が点滴を拒否した場合

本人は意思表示できないが、本人の意思が記された文書があり、その文書に点滴を拒否する旨書かれ、なおかつ家族がそれを支持した場合

大切なのは本人の意思と家族の意思です。

本人の意思が明確な場合、それは何よりも優先されるべきことと思います。本人の意思で点滴を拒否した場合、家族が点滴を希望しても、本人の意思を尊重すべきだと思います。そして、本人が意思表示できなくても、その意思を過去に明確に伝えていたのであれば、それは家族と相談の上でその意思をできる限り尊重してあげるべきだと考えます。

ただ、往々にして、その場で本人の意思が確認できない場合が多いのです。その場合は本人のことをよく知る家族に選択が委ねられます。

この時に家族が点滴を希望したとして、本当は意思表示できない患者さん本人が点滴を希望しておらず”まだ逝かせてもらえない”と苦痛に感じる可能性は全く否定できません。

でも、それを確認する術はありません。

確認できないものを、苦痛に思っているかもしれないから、といった推測で家族の希望を振り切り治療中断することはできません。

故に、いただいた質問の答えは、

苦痛があるかもしれないが、確認できない。本人に確認できない以上、治療の選択権のある家族の選択を優先する。

となると思います。

自分が臨終の際にいる身であったとするならば、やはり点滴治療は拒否するかもしれません。

でも苦しくてもできるだけ長く、家族との時間を過ごしたいと考えているかもしれません。

それは意思表示していないとわからないし、確認のしようがない。

確認できなければ、その患者さんのことを最もよく理解している家族がそれを決めるべきです。

そしてその家族の選択が、どんなものであれ、患者さんがそれを拒否するわけがないとも思うのです。