昔話1

2019年1月6日

私が医学部6年生のころ、友人たちとどこの医局に入局するかということを相談しあっていました。
当時は臨床研修制度がまだなかった時代で、国家試験に合格するとすぐに特定の医局に所属することになっていました。
今は初期臨床研修が義務化されていて、最初の2年間は特定の医局に所属せずに様々な科で研修することになっています。

初期臨床研修制度の導入は若手医師の就職行動に大きな変化をもたらしました。
まず、病院を自由に選べるようになりました。
我々の頃は、卒業したら大学のどこの医局に行こうか、と相談するぐらいで、外の病院に研修に出ようというやつは何か大きな理由、例えば有名な先生のもとで学びたいとか、があるようなやつか、あるいは変わり者と相場が決まっていました。

しかし、初期臨床研修制度の導入で市中の大規模病院が大学病院よりも高額な給与で初期研修医を募集するようになり、研修医たちは大学病院と外の病院の研修を選べるようになりました。

待っていれば大学病院の医局に新人が入局してくる時代が終わったのです。

今思えば大学病院の対応は後手に回った と思います。
大学病院にとって新人医師はタダ同然の人件費で「勉強」という名のもとに働いてくれる安価な労働力でした。
かくいう私も入局してから半年は無給でした。
大学院に行っていたので、学費の支払いでむしろマイナスでした。
半年後医局からアルバイトを紹介してもらい、そこで初めて給料をもらいました。
大学病院からはその後も宿直手当だけは支給されましたが、正式な給与を支給されたのは3年目になってからです。
それまで無給で大学病院に勤務し、外のアルバイトでもらった給与で生計を立てていました。 
これを私は別に劣悪な環境だと思っていませんでした。
なぜならみんな同じだったからです。
昔の大学病院の医局は、これが普通なのです。

市中病院の初期研修では月50万程度の給与が保証されています。
休みも週休2日保証され、休みの日は呼ばれることはない。
勤務時間も管理されていて、長時間残業をさせないようにシステムが組まれているところが多いようです。
一方大学病院は当初20から30万程度。
福利厚生も十分ではなく、これまでの新人に対してきたような過酷な条件を強要してくる。

これではなかなか太刀打ちできません。
大学病院は普通の就職先から、博士号が欲しいという、変わったやつが行く病院になってしまったのです。

その変化が大学に様々な歪みをもたらすことになるのですが、続きはまた別の日に書きたいと思います。