父の命日

2019年1月6日

今日は父敏晴の命日でした。

父が亡くなったのは東日本大震災の後間もない6年前の今日でした。
千葉市医師会の副会長をしていた父は、東日本大震災で被災した仙台市に支援に行く予定でした。
午前中は元気に外来診療を行い、昼休みに買い物をして帰る途中に倒れ、そのまま亡くなりました。

前日の3月14日、普段電話をしてくることのない父から、当時大学病院に勤務していた私に電話がありました。
内容はとりとめのないこと。
明日仙台に行く事。
家と家族は大丈夫だと言う事
最後に何故か家の事、家族の事、よろしく頼むとお願いされ電話を切りました。 

当時、余震活動も活発で、原発も危険な状況にあったので、東北に行く事は相当な覚悟が必要だったと思います。
父もそんな気持ちでそう言ったのだと思います。
その日は大袈裟だなあ、と思った記憶があります。
ですが、父は仙台とは比べ物にならない程遠くへ行ってしまい、家の事、家族の事、加えて医院のこともお願いされることになってしまいました。

虫の知らせなんていうのは非科学的で理系の人間が考えることではないかもしれません。
でも、前後の父の言動があまりに普段と違っていたので、非科学的な事が頭をよぎります。
父が死を予見していたとは思えませんが、このお願いされたことが、私にその後すぐに大学を退職して医院を引き継ぐという思い切った行動をさせました。 
結果的には父の意思が医院を存続させたのだと思います。 

法人化した際の法人名「日敏会」は当院を開院した父の名前からとっています。
勝手にお願いして、さっさと行ってしまった父。
医院を開設した責任を末長く全うしてもらいたいと思い、法人化した際に入れました。
やり逃げは許しません。
作ったからには最後まで働いてもらいたいと思います。